相生市の隠れスポット神社巡り「大避神社」 – ニシハリエブリー!西播磨No.1ポータルサイト

相生市の隠れスポット神社巡り「大避神社」

相生市】神社めぐり⛩

相生おでかけシリーズ特集です→♪♪

前回ご紹介した中国機関車モニュメント🚂

がある場所から奥へ進むとすぐある神社へ🚶‍♂️

こんなところに、神社があったんだ❗️

小さな神社だけと、木々に囲まれた奥に

ひっそりと佇む『大避(おおさけ)神社』⛩

なんだか雰囲気良い感じでしたよ→♪♪

巡り合わせに感謝して参拝しました🙏😌

またまた相生市の新しい魅力発見だ☝️

↓つづきでは、大避神社についてご紹介↓

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【大避神社】

📮678-0053 兵庫県相生市那波南本町9-7

🔻Google Mapで位置情報Check🔻

https://maps.app.goo.gl/E11VBJVBHpfcaMqu5

◆駐車場:相生市立中央公園駐車場あり

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「大避神社(おおさけじんじゃ)」

■御祭神:大避大明神(秦河勝はたのかわかつ)

■鎮座地:相生市那南本町(白鷺ノ鼻)

■創建年月日:不祥

[ご由緒]

御祭神 秦 河勝は、朝鮮半島から渡来した秦氏

の子孫。河勝は、欽明(きんめい)、敏達(びたつ)、用明(ようめい)、崇峻(すしゅん)、推古

(すいこ)の五朝廷に仕えたが、特に聖徳太子

に寵任され政治に携わって手腕 発揮した。

また疫病を鎮るため六十六の神楽(かぐら)を

創作したことでも有名で、今日では猿楽(さ

るがく)の祖、能楽(のうがく)の祖として崇

められている。

河勝は、聖徳太子没後、皇極三年(六四四)

蘇我入鹿(そがのいるか)の迫害を避け、摂

津の国、難波津(なにわづ)から舟で海路を

たどって西国へ逃れる途中、南波尺師浦(

なばしゃくしのうら)《相生市那波南本町

・・・今は埋立てられて消失したが、この

神社の境内から南へ続く岬で白鷺ノ鼻とい

う》に漂着。この地で村人に漁法、酒造、

養蚕などを教えたといわれている。矢野、

若狭野には河勝にまつわる伝説が残され

ている。

河勝はその後、赤穂郡坂越浦に移り住み、

その地で生涯を終えたと伝えられている。

秦氏一族は五世紀中頃から後半にかけて渡

来したとされているが、水田農業、手工業、

土木灌漑(かんがい)、鉱業等の優れた技術

を持ち、仏教など宗教思想、「千字文」、

「論語」、財務制度などを我国に伝え、文

化面でも大きな功績を残した氏族であった。

中でも河勝は傑出した才能と手腕を発揮し、

殖産の神として崇敬されている。一族は旧

赤穂郡にも早くから進出し、千種川流域の

開拓を進め今日の基を築いた。

村人は河勝の御神徳を深く信じ、航海安全

や災難を避け、地域の豊かな生活を守る神

として、河勝上陸のこの地に祠を建て祀っ

たが後に、貞観年間(じょうがんねんかん)

[八六〇年代]赤穂郡の長官であった秦造

内麻呂が氏神としたと伝えられている。

この神社では、明治年代末には「雨乞い」

が行われたり、「豊年祭り」が行われたと

も伝えられている。

現在の社殿は昭和十二年(一九三七)のものである。

この神社の社紋「八本矢車(はちほんやぐ

るま)」は、古代には宮廷鍛冶が使用したも

のであるという。

京都市右京区太秦には、秦氏の始祖を祭神

とする大酒神社がある。

その近くには仏教を深く崇拝していた河勝

が、聖徳太子から賜った仏像を奉じて建立

した広隆寺(こうりゅうじ)があり有名である。

相生へおでかけしたら立ち寄ってみてね♪

ぜひ、この冬も西播磨を堪能しに

遊びに来てください╰(*´︶`*)╯❤︎

(撮影は、2022年7月7日時点)

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