【赤穂市】観光スポット❗️ 四十七義士石像についてご紹介(^^) – ニシハリエブリー!西播磨No.1ポータルサイト

【赤穂市】観光スポット❗️ 四十七義士石像についてご紹介(^^)

四十七義士石像

赤穂大石神社へ訪れると沢山の石像が😲❗️

何度か、SNSの投稿で見た事ある👀💡

この日初めて訪れた僕は、おぉ!コレかぁ🤩

思ったよりたくさんの石像が並んでいて

なんかカッコ良かったです(๑>◡<๑)🙌✨

👇看板にはこう書かれていました。

【四十七義士石像裏門隊】

大石主税以下 二十四体

討入り姿

(中国産黒大理石製)

(兵馬俑工芸技術伝承者作製)

※神門に向かって表門隊(右)と裏門隊(左)

の左右に分かれて石像が並んでいます!

【四十七義士石像表門舞台】

大石内蔵助以下二十三体

討入り姿

(中国産黒大理石製)

(兵馬俑工芸技術伝承者作製)

●大石主税(おおいしちから)とは

1688-1703 江戸時代前期の武士。

赤穂浪士の一人であり、討ち入りの際に

後門攻め入りの隊長を務めたそうです。

大石良雄の長男で、名は良金(よしなり)。

享年16歳と、とても短い命だった。

より詳しい情報は、下記HPをチェック🔍

〜忠臣蔵のふるさと赤穂においでよHP〜

https://akoinfo.com/akogisi/gisikojin/ohoisitikara.html

👇つづきは、下記よりチェックしてね→♪♪

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□■大石瀬左衛門宅阯■□

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📮678-0235 兵庫県赤穂市上仮屋

🔻Google Mapで位置情報Check🔻

https://goo.gl/maps/4Jp5j1KPLonbA9Mg8

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■『大石瀬左衛門信清』について、

赤穂浪士会の看板にはこう書かれていた。

大石瀬左衛門信清

馬廻 百五十石

裏門隊 行年二十七歳

元禄十四年三月十四日の夜、瀬左衛門は

原惣右衛(はらそうえもん)とともに早駕

篭に乗り、主君浅野内匠頭長矩公(たくみ

のかみながのり)切腹の報を、国許赤穂に

伝えるため江戸を立った。

主君刃傷の報はすでに同日夕方、早水藤

左衛門(はやみとうさえもん)、萱野三平

(かやのさんぺい)による第一の急使が携

え赤穂に向かっている。

三月十九日午後八時ごろ、主君切腹の報

は、瀬左衛門と原惣右衛門によって赤穂

城にもたらされた。

瀬左衛門は、大石内蔵助とは遠い親戚で、

祖父が内蔵助の曽祖父の弟にあたり、剣

を潮田又之丞(うしおたまたのじょう)と

ともに、内蔵助の剣の師でもあり、東軍

流の剣豪として知られていた奥村無我(お

くむらむが)に学んだという。

急使として赤穂に到着したのち、瀬左衛

門はそのまま赤穂に留まって内蔵助に従

ったが、城明け渡し後は京都に移り住み、

元禄十五年十月初旬に討ち入り決行のた

め、大石主税、小野寺十内(おのてらじゅ

うない)、間瀬久太夫(ませきゅうだゆう)

らとともに江戸に入り、吉良方の偵察に

あたった。

討ち入りのときは、裏門隊に属し、細川家

にお預けののち、吉田孫四郎(よしだまこし

ろう)の介錯で切腹した。

赤穂義士会

🔴次回は、赤穂大石神社のご紹介⛩

お楽しみにぃ╰(*´︶`*)╯♡

ぜひ、西播磨の魅力を、

堪能しに来てくださいね→♪♪

魅力たっぷりの西播磨がアツい🥰❤️

 

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