mikke(ミッケ)講演会「うちの子が学校に行かなくなりました。」不登校児童支援サポート
mikkeミッケ講演会❶
「うちの子が学校に行かなくなりました。」
不登校や引きこもりetc…様々な理由により
学校へ行きにくい子どもや、保護者の方々が
集い心の想いを話せる場所”mikke”は、現在
太子町とたつの市にて月3回開所しています。
直接当事者の想いや体験談を聴く事で自分
では知らない世界や、想いを何か感じる事
ができるんじゃないかと思い参加しました。
上手くまとめれないけど、来れなかった方
へのきっかけになればと思いご紹介します。
僕の言葉も少し話しながらお伝えします!
長くなりますが、一度の投稿では伝えきれ
ないので2回に分けて投稿させて頂きます🙇♀️
ぜひ、最後まで読んで頂けたら幸いです♡
《うちの子が学校に行かなくなりました。》
川戸さんは、幼稚園に勤めていたが5年前に
重心通所児童デイサービスTSUBASAへ転職。
ある日突然、自分の子に起こった事実。
自身が、不登校児の親になるなんて思っても
なかった。その日が来るまでは他人事でした。
我が子をみた時に、実際に想像していたもの
や価値・イメージとは全く違いました。
どうして、、、と自分を責めたり。
子供の忍耐力や根性、学校のせい?
それとも子どものせい?環境のせい?
何が原因がわからない。出口のない日々が続く。
子ども関係の仕事をずっとしてきたけど、
こんな世界は知らなかった初めての出来事。
このままでいいんだろうか??と、深く深く
子どもが悩み苦しむと共に又、親も一心同体。。
川戸さんは、その後こう話されていました。
「答えを出したり、正したりすることはしない。」
《現状と認識について》
不登校児は、全体の8%[12〜13人に1人]
突然、明日我が子にも起こるかも知れない
身近な事であり決して他人事ではないんです。
《表現や言葉は大事。》
「例えば老眼鏡、四十肩、五十肩・・・」
女性には言いたくない、認めたくないフレーズ。
「不登校児」という表現は、1998年頃〜
そのまた昔は、「学校拒否」?
その言葉は、自身はもちろん親にとっても
周りの人に言いにくい表現の言葉と感じます。
決して言われてうれしい言葉でもない。
川戸さんは、もっと言いやすい表現はないか
と何日もかけて周りの人達とも相談しながら
新たな表現をや言葉を考えたそうです。
ちなみに不登校児は、1950年代の東京タワー
が出来た時代で、約0.2%と言われている。
当時は、どうしたら学校に戻れるのか?に
ついてばかり研究されており、無理に学校
に戻そうという取り組みが多かったという。
今の世の中は、子どもの数は減ってるのに
対して、不登校児童は年々増えている。
昔と違うところは、無理に学校に戻したり、
登校を促そうという働きかけは減っている。
川戸さんが大切にしていることは、
『社会的に自立する事を目指す』こと。
その言葉から僕が感じた、思ったこと、、、
今、現状が世間一般と違っていても一人一人
にとっての人生は十人十色。これまでの常識
や枠に無理にはめようとするから混乱する。
目の前の子どもにとって本当に必要なものは?
求めているものは何か?この子達にとっての
[居心地・喜び・楽しさ・笑顔の源]はどこか
ら湧き出てくるのかを、そっと側で見守りな
がら一人一人にあった歩幅で寄り添ってあげ
ること、それが今その子達にできることなの
かも知れないと感じました。
●mikkeへのお問い合わせや参加希望者は、
太子町社会福祉協議会079-276-4111まで。
最後まで読んで頂きありがとうございました🙇♀️
▶︎次回投稿のmikkeミッケ講演会❷では、
「20歳になった息子が、当時を振り返り語った言葉」をご紹介させて頂きます。
記事作成日:2023年5月17日時点。